mu-miso1974のブログ

徒然なるままに書く46歳初心者ブログ

幕末は面白い2

新選組 - Wikipedia

こんばんはムーミソです。
子供が日本史が好きじゃないとか言ってないですか?
日本史は面白いし興味が出れば本を読むようになる
そうすると読解力がつくので国語にも強くなるんです。
このブログを読んで日本史は楽しいんだなと
思ってくれれば幸いです。

前回、井伊直弼桜田門外の変で暗殺された話をしましたが
その前に蛮社の獄について話を忘れたので少しだけ
アメリカとの不平等条約を結んだことと開国した方がいいという
意見が識者から出てきたんですが、これを言論封じのために処刑しました。
これを蛮社の獄といい、当時の最先端の職業である
蘭方医などが幕府によって粛清されたのです。

民主主義ではないので言論弾圧が上の一言で
出来てしまうなんて某国を思い起こさせますね

 

 

 

 

こののちに井伊直弼桜田門外の変で暗殺となります。
暗殺に参加した志士は水戸藩薩摩藩藩士でしたが
ほとんどの志士はこの場で亡くなったか切腹などをしたそうです

井伊直弼はここで亡くなったことにせず病死としたため
水戸藩薩摩藩への報復はありませんでした。
井伊に変わって老中になった安藤信正などの配慮があったと言われています。

しかしこの事件から幕府の勢いは落ちていくのです・・
最高権力者が路上で殺されたのですから

吉田松陰を殺された長州藩などは露骨に幕府を挑発するために
外国の領事館を襲撃したりしました。

外国から賠償金についての話し合いに幕府が入らなければならず
幕府を困らせるために起こしていったのでした
なぜ幕府が入らなければならないのか?
幕府が日本の権力を持っているからです。
もし長州藩と外国が独自に賠償についての話をしたら
幕府がないがしろにされ雄藩が外国と直接結ぶ可能性も
あることから苦々しく思いながらも黙認の形となりました。

日本人が初めて見る異人はとても怖かっただろうなと思います。
想像で書かれたといわれるペリーの絵は鬼そのものですしね
志士たちは攘夷を唱えます。
外国人を打ち払い元の国に戻すという思想から
打ち払った後は幕府を倒すという思想(尊王攘夷論)まで飛躍していくのです。

幕府も弱体化していたことが分かっていたので公武合体を推進するため
京都の公家だった岩倉具視と手を組み時の将軍と皇女和宮の婚姻をすすめていくのです


長州藩を中心とする尊王攘夷派の志士たちは他の公家を引っ張り出してきて
幕府を動かして攘夷を断行させるよう暗躍します。
この時期に清川八郎という志士が九州に行って攘夷の戦いが始まるぞと
吹聴して回ったことで九州の志士たちはこぞって京都を目指すことになります

当時の情報伝達は人から人が主ですので遠いほど情報が遅く伝わるのです。
そのなかで清川の言論は瞬く間に九州で広がっていくのです。

これによって京都で志士による暗殺事件が多発していきました。
すると清川八郎は江戸へ戻り、幕臣の同志たちに
京都の志士から要人の警護をするための志士を集めるよう
幕府に具申し浪士隊が結成されます。

江戸近辺の町民や剣術道場の師範とその弟子たちがこぞって参加し
京都へ向けて出発しました。
しかしこれは清川の策であり、幕府の金で集めた隊員をそのまま
天皇の私兵として外国打ち払いさせるという奇策に出たのです

これは結果としてうまくいかず、清川は江戸へ戻るのです。
そして幕臣の佐々木唯三郎(のちの見廻組)に暗殺され
その短い生涯を終えました。

皮肉なことに京都にの連れて行った浪士隊が会津藩肝入りになって
のちの新選組となり逆に尊王の志士を暗殺していくことになるのです。
清川八郎という一回の浪人が口八丁で集めた志士たちどうしで
京都で血で血を洗う剣戟が行われたことを考えると
歴史って本当に面白いなあと思う瞬間です。

全然進んでる感じがしない・・(-_-;)