mu-miso1974のブログ

徒然なるままに書く46歳初心者ブログ

幕末は面白い3

清河八郎にみる武士道 – 日本の心・武士道

こんばんはムーミソです。
清河八郎という人は傑物で
英雄と呼ぶにふさわしいほどの
知性と剣術も北辰一刀流の免許皆伝
まさに文武両道の人で実家は出羽にあったみたいですが
お金持ちの豪商だったようで身なりもきっちり
していたそうです。

ただ惜しむらくは人としての魅力に欠けていた
清河のためならとついてくる人間がいなかった
あっちを騙してこっちを騙すやり方が奇術的すぎて
ついてこれなかったのでしょう

清河の死から幕末は一気に動いていくのです。
長州藩尊王の志士を使って暗殺と恫喝を繰り返し
幕府に攘夷を迫っていきます。

この時の長州藩は集団パニックのように
攘夷に向かって突き進んでいき
下関を通る外国船を打ち払うまでしました。
打ち払ったはいいもののその後の報復で
長州藩は自信を失うほど敗退します。
これに焦った高杉晋作藩士以外から
兵士を募って部隊を編成します。
これが奇兵隊です
その後も京都に兵を集め攘夷を迫るのです。

 

 


長州藩の暴走に幕府も黙っておられず会津藩
京都の守護職として任命します。
会津の藩主松平容保金戒光明寺に居を構え
志士の取り締まりを開始します。
しかし藩士自らが取り締まりができるはずもなく
困っていたところに現れたのが前回話した
清河が江戸から連れてきたたち浪士隊の者たちでした

会津藩はお抱えとして浪士隊を召し抱えました。
これがのちに京都の志士たちが恐怖した新選組となるのです。
新選組はすさまじい諜報能力と剣術の達人たちによる
斬撃で志士たちを次々と葬っていくのです

有名な池田屋事件では長州藩の俊英や志士の大物を
葬り去りました。

この頃に薩摩藩も英国と薩摩で戦争をしています。
薩摩藩は砲台を破壊されたりしましたが
死者はないどころかイギリス軍艦にダメージを与えていました
薩摩藩はここで攘夷は難しいと悟り
英国も幕府と組むより薩摩と手を結ぼうとします。
ここで秘密裏に薩英同盟が結ばれたのです。

進まない・・(-_-;)

次回に続ける|д゚)