mu-miso1974のブログ

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幕末は面白い

幕末 - Wikipedia

こんばんはムーミソです。
前回に維新の嵐の話をしていて
幕末について語りたくなった!!
あくまで私の目線なので違うかもしれませんが
そのへんはご容赦ください

幕末の始まりはペリーの黒船来航になるでしょう。
実はペリー来航の前に黒船はやってきたのです。
モリソン号事件といわれるものです。

この当時の世界の列強は産業革命がおこり
蒸気船を発明し世界の海を席巻していきます
アメリカも例外ではなく世界と貿易したり
植民地にしたりしておりました。

おもに鯨油を太平洋で取っていたようですが
蒸気船に必要な薪や乗組員の水など
補給する場所が必要とされてました。

そこで目を付けたのが日本です。
そこでモリソン号に漂流していた日本人を乗せて
あくまでも友好的な条約を結ぶために日本を訪れたのです。

しかし日本の回答はNOでありあろうことか商船の
モリソン号を砲撃するという事態が起きます。

 

 

 

これがきっかけで有効な条約が無理だと悟った
アメリカ軍は軍艦4隻を浦賀に派遣します。

島国でありほかの国との交遊は長崎の出島のみであり
オランダと中国だけという鎖国状態の日本に
突如現れた蒸気船の軍艦に国民はさぞ驚いたことでしょう

この時に読まれたといわれる狂歌があります
「太平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰) たった四杯で夜も眠れず」
これは蒸気船と上喜撰(これは最上級のお茶)をかけて
恐ろしくて眠れないことをうたってます。

当時の江戸幕府はペリーをもてなしましたが
強硬な態度に押されてしまい日米和親条約を結びますが
これは日本にとっていいことなくアメリカの為の条約です。
その後はハリスが現れ日米修好通商条約を結びます。

なし崩しに開港を迫られ、横浜と神戸と函館と新潟を開港します。
この幕府の弱腰に雄藩や志士と呼ばれる人たちが立ち上がります。

雄藩の代表は4人の藩主4賢候と呼ばれていました
福井藩松平春嶽宇和島藩伊達宗城土佐藩山内容堂
そして薩摩藩島津斉彬です。

薩摩藩は諸外国に追いつくため密貿易で稼いだお金を投入し
軍艦を作り、銃を作り、弾丸も作るようになります。
お城に電信装置も作ったそうです。
この島津斉彬の下で八面六臂の活躍をしていたのが
上野駅にいる西郷さんです。

 

 

 

この時の考え方は倒幕という考えではなく
幕府と雄藩で連合を組み諸外国に負けない国づくりをする
考え方であり公武合体と言います。
時の老中の阿部正弘は諸藩を集めてこれを高らかに行う
予定でしたが急死してしまいます

その後の老中になったのが有名な井伊直弼になります。
井伊は老中の上の火急時のみの役である大老になり
雄藩や志士たちを処罰し始めるのです。
これがのちの安政の大獄です。
志士の中には福井藩橋本左内長州藩
吉田松陰などがおりました。

安政の大獄で志士は無残に殺され雄藩の代表は謹慎になり
幕府は国内の公武合体派の処罰をして
自らが生き残るチャンスを失くしてしまいました。

井伊直弼は幕府代表として他の諸外国とも
不平等な条約を言われるがままに締結していくのでした・・
これに起こった志士たちに井伊直弼桜田門外の変で暗殺されます。

これより雄藩と志士対幕府の血で血を洗う戦いが始まるのです。

次回に伸ばそう|д゚)