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坂本龍馬という人7

新政府綱領八策(しんせいふこうりょうはっさく)| 史料編 | 中高生の ...

こんばんはムーミソです。
話として飛ばしてしまいましたが
日本で最初に新婚旅行をしたのが
坂本龍馬と言われています。

寺田屋で逗留しているときに
伏見の奉行所が捕縛に向かってきました
竜馬は辛くも逃げることに成功しましたが
その時に負った指のケガが思ったよりひどいため
薩摩藩が薩摩へかくまうことにしたのですが
その時に妻となったおりょうを連れて
薩摩を回ったそうです

 

 

 

勝海舟からそういう習慣があることを知っていた
竜馬はおりょうを連れてひと時の休息をとったのです

その後の竜馬は海援隊として海軍と商人の中間的な存在として
活躍しますが、ここでも初めてのことをしでかします。
伊予の大洲藩から借りた蒸気船いろは丸が紀伊藩の明光丸と
衝突事故を起こすのです
いろは丸は大洲藩に船を買ってもらい海援隊が運用している船で
大いに活躍してくれるはずがこの事件で沈没します。

この時代の海難事故は泣き寝入りが普通でした
相手は御三家の紀伊藩であり何も出来ないだろうと高をくくっていたのですが
竜馬たちは海上で起きたことについては万国公法にのっとり
処理すべきである。その場合明光丸に過失があると追及します。
土佐藩薩摩藩も協力しついに紀伊藩から賠償金を取ることに成功します

初めて万国公法に基づいた海難事故も日本で初めて行ったのが
竜馬ということになるので改めて凄さが分かりますね

その後は後藤象二郎から今後どうすればいいとの質問に
かの有名な船中八策を提案します。
これはそのまま明治政府が使うほどよく出来ているものであり
創作ではないかとの説もあるようです。
しかし竜馬には強力なブレーンがいっぱいついていたことを
考えると前に聞いていた話を今こそのタイミングで
出してきたのだと思います。

このあたりの竜馬は政治家としての顔ものぞかせますね
聞きかじったことをタイミングで出してくるあたり
やはりただものではない

この後は・・暗殺されます。
亡くなったときの年齢がなんと31歳!!
これだけの大事業を起こし
飛び回っていたのにこの若さ
物凄い充実してたのではないでしょうか

明治後の話ですが、明治になってからは
土佐藩の力があまり強くないこともあり
竜馬の存在も忘れられていたのですが
明治皇后さまの夢に現れたのだそうです

調べたところ、坂本龍馬であったと
そこから竜馬の名前がまた出てくるようになり
現代まで語り継がれるようになったそうです。

長々とありがとうございました